
確定判決概要



福岡事件の確定判決では強盗殺人罪の共謀共同正犯が認定され、西さん石井さんへ死刑判決が下されました。罪名となった共謀共同正犯は、共謀により犯罪意思を共有したうちの1人が実際に犯罪をおこなうことが成立要件となります。共謀の有無についてはメモなど物証が残っていない限り、共謀に参加した人の供述証拠が認定の根拠となります。宮本先生の話にもありましたが、供述を聞きとる方法には多くの問題があります。問題のある供述証拠が判決で採用された場合、判決の認定した事実に徴を残すことがあります。判決の認定した事実に整合性がなかったり、合理的でなかったりした場合、根拠となった証拠に問題がある可能性があるのです。
今回は時間の関係上確定判決を全て読めないため、かいつまんで確定判決の不可解な点を、認定の根拠となる28点の供述証拠から概観します。確定判決は大きく4つのフェーズを認定しています。第1は「強盗殺人計画」の企図とその準備段階。第2は事件当日5月20日に石井が福岡旅館を来訪し、「強盗殺人計画」の共謀したこと。第3では福岡旅館を出発した後に被害者2人が殺害されるまでの行動。第4は被害者殺害後逃走するまでの様子です。
第1フェーズ 計画企図と準備



まず第1フェーズ、確定判決は1947年4月末頃に「強盗殺人計画」を企図した西は黒川(以下、西・石井以外の共犯者名は仮名)と共謀したこと、そして被害者たる日本人商人を介して取引相手を探したこと、事件前日5月19日に拳銃入手への行動をしたことの3点を認定しています。この認定で西の供述は一切採用されず、黒川供述のみ採用されています。黒川供述ではまず4月26日に西が黒川へ軍服詐欺を打診したとしています。その後西・黒川の会合が数回ありますが軍服見本入手に始終します。
急展開するのが5月13日、西は黒川に「18日頃取引をする」と伝え、後に殺害現場になる場所へ黒川を連れ出します。そこで西は、黒川がその場まで買主を連れ出し、西が拳銃で殺害するという「計画」を話したとされます。この時点の共謀では架空の軍服で買手をおびき出すこと、5月18日頃に取引があること、指示した殺害現場へ黒川が買手を連れ出して西が拳銃で殺害することしか分かりません。逃走方法や分け前といった1カ月もあれば話し合っておくべき犯罪実行の具体的内容が不足しています。
また黒川供述では5月13日の時点で取引が18日頃に決まったとしています。しかし軍服取引関係者の証言に、5月15日か16日頃に被害者日本人商人から軍服買手斡旋の依頼を受け、もう1人の被害者である華僑商人へ紹介したという証言が複数あります。このことから、13日時点では軍服の買手がまだ決まっていませんでした。買手たる殺害対象が決まっておらず、何人来るのかも分からない状態で、取引日や殺害方法を決めたりすることは不可解に思えます。
さらに黒川供述によれば、5月13日会合後に取引日は二転三転します。当初5月18日に予定されていましたが翌19日へ変更、さらに19日に黒川は西から「明日決行する、拳銃が要るからお前探せ」と急に言われたとしています。黒川供述では13日の時点で西が「拳銃でやらねば(計画は)成功しない」と言っていたとされ、拳銃入手は「計画」遂行の肝でした。しかし、13日から5日間あったにもかかわらず、当初の取引予定日であった18日に拳銃が用意出来ておらず、次ぐ19日にも用意が出来ていなかったこと分かります。拳銃入手に関する切迫性のない行動は、本当に「強盗殺人計画」があったのかを疑わせるものです。
第2フェーズ 共謀



第2フェーズで確定判決は5月20日軍服取引当日に石井が西のいる福岡旅館へ来訪したこと、西は石井から拳銃を入手し石井・藤川・押田を「強盗殺人計画」に誘い共謀したことを認定しています。第二フェーズでは石井だけでなく彼を福岡旅館に案内した藤川・押田の供述も採用されています。西は黒川・藤川と元上司・部下の関係であったことが身上関係で認定されていますが、石井・押田とは藤川の紹介を通じた初対面でした。
初対面同志にもかかわらず、なぜ急に「強盗殺人計画」に参加しよう/させようとしたのでしょうか。事件前日、西・黒川が藤川に会った際に、架空の「久留米の喧嘩」を作り出して拳銃入手を依頼し世話料を約束しました。藤川は押田・石井へ拳銃を依頼する際にも「久留米の喧嘩」と世話料の話をしており、3人は拳銃世話料を信じて西のいる福岡旅館へ向かいました。そこで急に「強盗殺人計画」を持ち掛けられたのです。しかし、石井・藤川・押田いずれの供述においても「計画」参加に際して分け前の話が全く出てきません。3人にしてみれば、既に西に拳銃を渡しているのですから拳銃世話料はクリアしており、「強盗殺人計画」参加の報酬は別にあるべきでしょう。特に石井は「計画」に重要な殺害行為を任されています。石井にしてみれば西に逃げられたら、石井だけ罪を着せられる危険性も十分にあります。西と石井の信頼関係は「計画」成功に必須のために西は「計画」への報酬を提示すべきところですが、そうした会話は一切見受けられません。
また西にしてみても、前日まで黒川と2人でやろうとした「計画」をなぜ変更することにしたのでしょうか?もし人員が足らないなら前日に会った藤川に真実を話し引き入れれば良かったはずです。1カ月前から構想した「強盗殺人計画」へ当日になって初対面の人間を加えるなど不合理としか言えません。
第3フェーズ 計画遂行と殺人



第3フェーズにおいて確定判決は、「強盗殺人計画」の共謀内容に沿って行動を起こし、被害者2人を殺害した様子を認定しています。確定判決は福岡旅館共謀について「(西は) 被告人石井、藤川、押田等に対し、暫次ざんじ計画の実相を打明け、事の成行によっては、まず被告人黒川が取引の相手方2名を誘い出し、次いで、被告人西が残りの者を連出し、逐次相手を殺害して、その所持の金員を奪取すべく、計画の実行に関する大略の構想を表明し(た)」と認定しています。このように、確定判決の福岡旅館共謀はおおまかな犯行分担を示すものであって、殺害現場の指定・殺害対象・逃走経路といった初対面の石井だからこそ伝えるべき最低限の情報が何ら認定されていません。これは根拠となった供述証拠も同様です。そしてこの「計画」に沿ってなされた実際の行動は、他の供述と不符号を引き起こしていきます。
まず殺害現場について、5月13日西から黒川へ殺害現場の指示を確認しましたが、石井にもこの現場の指示がなされました。福岡旅館出発後、確定判決は黒川・石井・岸田のグループで西たちと別行動したことを認定しています。黒川・石井供述では、この別行動時に黒川が石井へ13日の殺害現場を伝えたとしています。しかし、取引関係者の証言では、事前に殺害現場を指定することが不可能でした。当初軍服は殺害現場からおよそ2キロ離れている華僑仲間宅へ持っていく予定だったのです。事件当日になって他の華僑との諍いから、取引を急いだ華僑商人の判断で軍服隠匿場所とされていた殺害現場付近の料理屋に向かうことが急遽決まり、さらにその料理屋に軍服を運んで引渡しをすることに決まったのです。このように軍服取引にて買手が殺害現場まで移動する予定はなく、どのように買手を連れ出すつもりだったのか疑問です。
次に殺害対象について、料理屋に到着した西は、既に出揃っていた軍服取引関係者達と合流します。この場にいたのは買手の華僑商人とその仲間の2人、被害者の日本人商人とその他日本人仲介人3人、合計6人いたことが取引関係者の証言で分かっています。結果として華僑商人と日本人商人の2人が殺害されたのですが、誰まで殺害する予定だったのでしょうか?福岡旅館共謀を読み返すと「まず被告人黒川が取引の相手方2名を誘い出し、次いで、被告人西が残りの者を連出し逐次相手を殺害」とあり、取引関係者全員を指しているように読み取れます。しかし、石井が使用した証9号拳銃の弾丸は4発、これは福岡旅館での石井供述で西が弾数の確認したことが記されています。全員殺害となると拳銃の弾が足りず、他の武器が必要になります。他の武器として、黒川が匕首、岸田が日本刀を持っていたことが認定されています。しかし、岸田は福岡旅館共謀時に不在で、「計画」を知らず石井の友人として行動を共にしていました。武器の数が限られているにもかかわらず、なぜ「計画」を知らない人物に武器を持たせていたのか疑問でしかありません。仮に西と直接連絡を取っていた日本人商人と華僑商人2人の合計3人を殺害する予定だったとしても、取引を見守りに来た日本人仲介人3人をどうするつもりだったのか、なお検討を要する部分だと思います。
第4フェーズ 殺害後の逃走

第四フェーズは被害者殺害後について、確定判決は被害者殺害後に黒川が会合場所へ向かい西や取引関係者へ軍服のトラック積込報告をしたこと、西は報告を受けて軍服料金を華僑仲間へ請求したが現品未確認のため断られたこと、西・黒川は石井を伴って取引手付金10万円を持って逃走したことが認定されています。福岡事件の最大の謎はこの「計画」と結果の不一致にあります。福岡旅館共謀では「逐次相手を殺害して、その所持の金員を奪取」することが話し合わされており、殺害してまで奪おうとしたものは軍服代金60万円余りであることが分かります。しかも「計画」では華僑仲間を今度は西が連れ出して殺害する予定だったにもかかわらず、なぜ中止して逃走してしまったのでしょうか?この理由について確定判決は何も認定していません。唯一岸田供述にて、被害者殺害後石井が拳銃の実包がすべて無くなった旨の話をしていたという部分があります。しかし、拳銃の弾数が足りていなかったのは先に確認したとおりです。
まとめ

福岡事件の確定判決の認定は、内容を読むほど、なぜこのような杜撰な認定で死刑判決が下されてしまったのかと思う部分が数多く見受けられます。しかも、その杜撰さの原因は裁判所の採用した供述証拠同士がかみ合っていないこと、共謀したとされる「強盗殺人計画」と実際の行動の不符号に起因しています。
特に軍服取引関係者は被害者華僑商人・日本人商人とかかわりのある人達で、軍服取引で損益を受けた被害者ともいえます。こうした第三者の証言は共犯者供述と比べて、信用性が高いと考えられます。しかし、5月13日に話し合われた殺害方法や殺害現場については、取引関係者証言から事前に決めておくことが困難であり、事件当日に被害者2人が殺害現場にいたことも華僑商人の判断による偶発的なことが分かります。
また、共犯者供述から認定された計画→準備→行動という一連の因果関係も、準備の遅さや突然の計画変更など動機が不明な行動が散見されます。さらに元々の目的だった軍服取引代金を残したままの逃走について、なぜそうなってしまったのか確定判決の一番の謎となっています。こうした確定判決の整合性のなさや合理的な疑いの残る認定は、その根拠となった供述証拠への疑念へと繋がるのです。