名誉回復のために

第六次再審請求

無実の罪で西さんを処刑され、石井さんが仮釈放された後も古川泰龍師は死後再審の準備を続けました。1994年、NHKでの番組制作がきっかけで八尋光秀弁護士を中心とする弁護団が誕生します。そんな死後再審が現実味を帯びてきた2000年夏、惜しくも古川師は急逝してしまいました。

しかし運動は古川師のご家族が引き継ぎ、キャンペーンなどを通じて全国に支援の輪を広げ続けました。そして2005年5月23日、西さんのご遺族、石井さん、共犯者の3名を請求人として、福岡事件の第六次再審請求を福岡高等裁判所に提出したのです。これは戦後初となる死刑執行後の再審請求として、全国の注目を集めることとなりました。

請求人の死亡

2008年11月7日、石井さんは静かに息を引き取りました。彼は西さんの「最後まで闘うように」という遺言を守り、最期まで「西君は無実だ」と訴え続けました。その姿は、鬼気迫るものがあり、想いは多くの支援者に伝わりました。葬儀には、弁護団や学生達が馳せつけ、運動への継続を彼の霊前に誓いました。

また石井さんの死去から遡ること数カ月前、西さんのご遺族も亡くなっていました。そして再審請求を継続する人がいないまま、時間だけが過ぎていきました。2009年3月31日、福岡事件の第六次再審請求は、西さんと石井さんについては死去のため終了、共犯者については棄却されてしまいました。弁護団は棄却後すぐに最高裁へ特別抗告しましたが、憲法違反の取調べや裁判がなされたという主張は「単なる法令違反の主張」と一蹴されてしまいました。

再審法の改正へ

刑事訴訟法439条は再審請求権者を「検察官」「有罪の言い渡しを受けた者」「有罪の言い渡しを受けた者の法定代理人及び保佐人」「有罪の言渡を受けた者が死亡し、又は心神喪失の状態に在る場合には、その配偶者、直系の親族及び兄弟姉妹」に限定しています。

西さんのご遺族が請求人になるまで、長期にわたって古川師や師の家族、支援者の勧めに逡巡し続けました。それでも諦めることなく、弁護団も説得も加わりました。幸いなことに、事件被害者のご遺族が再審請求を積極的に支持されたことで、西さんのご遺族は匿名を条件に再審請求を決意されました[1]。「出獄したら必ず真相を話す」生前に被害者ご遺族と面会した西さんは固く約束を結び、被害者ご遺族も法務省から西さんの処遇を尋ねられたときに釈放を求めたといいます[2]。結局、被害者ご遺族の意見も無視されましたが、被害者側も抱える真相を知りたいという声にも支えられ、第六次再審請求がなされました。

ですが親族に犯罪者がいる、しかも極刑を受けているとなれば、周りからどのような目でみられるか。請求人を引き受ける不利益を想像すれば、西さんのご遺族が逡巡されたのも頷けます。親族であればこそ困難な権利の行使を強いることは、再審請求という制度自体に欠陥があることを示しています。

冤罪の可能性があるのに「有罪の言い渡しを受けた者」が処刑されその家族も生存していない、あるいはバッシングを恐れて声をあげられない場合、冤罪という違法状態・人権侵害は放置されていてよいのでしょうか。誤判は私たちの社会が犯しうる最大の罪であり、その誤りを正すことで司法への権威と信頼を確保することになるのではないでしょうか。誤った司法判断で事件の真実を覆い隠したままにしないために、無実の人が処刑されるような蛮行・愚行が二度と繰り返されないように、現行の再審要件を緩和する「再審特例法(仮称)」の制定を求めています。


[1] 九州再審弁護団連絡会出版委員会編『緊急提言!刑事再審法改正と国会の責任』P65以下

[2]ドキュメント九州「その月が割れるまで~福岡事件・再審請求の行方」TKUテレビ熊本2009年