糾問的な裁判

華僑集団に頭を下げる裁判長

捜査官による拷問・強迫の末、虚偽の自白をしてしまった石井さんや共犯者達。そして自白をしなかったにもかかわらず、共犯者達の自白で事件の主犯に仕立てられてしまった西さん。彼らは裁判所に一縷の望みを託しました。しかし、拘置所から裁判所に向かう道も、そして傍聴席もすべて華僑集団が占拠し、報復を望む怒号が飛び交う異様な光景だったそうです[ⅰ]。

加えて、裁判が開廷してからも裁判官は西さんや石井さん達の声聞くことなく、傍聴席の華僑集団に迎合した態度でした。裁判長は捜査過程での自白聴取書を読み聞かせて問いただし、否認する被告人達に対して威圧あるいは黙殺することで、自白の内容を強権的に認めさせていきました[ⅱ]。それは憲法が戦後克服しようとした、糾問主義裁判における訴追者としての裁判官そのものでした。第1審判決が下されたときの光景について、西さんは次のように話しています。

「日本の裁判というものは、こんなものだろうかと驚かされたことに、判決当日の池田裁判長の言動でございます。即ち、法廷に満員の中国人に向かって『中国人の方で、今日の判決について御意見のおありと存じますので、拝聴したいと思いますから、被害を受けられた方の関係おもだった方だけにしていただくことにして7,8名位でいいですから、こちらにご出席ください』と満員の中国人傍聴席にいい、…裁判長曰くに『ただ今お聞きいただきましたように、西、石井は死刑に、その他の者にもそれぞれ最高の判決を言渡しましたので、これでどうぞ御了承下さい』というと、法廷の中国人たちが騒然となり、『2人だけの死刑ではダメだ、なぜ全員死刑にせんのか、判決をやり直せ、そんなことでは納得できないから、総司令部に訴える』という。それで裁判長は、『判決をいい渡した以上は、それをまたいい直すということは規定で出来ませんので、今日のところは、これでご了承ください。というのは、裁判はこれで終了したというのではありませんから、次の高等裁判所になった時は、皆さんの御希望に添うように連絡しておきますから』という、裁判長の平身低頭の姿に、戦争で敗れたものの惨めさに同情はできましたけれど、裁判所は事犯の真実を裁く神聖なところだと信じていただけに、この異様な裁判劇には、目を見張って恐怖したものでした。」[ⅲ]

「公正な裁判所」が唖然としてしまうエピソードです。福岡事件の裁判では、華僑集団やその背後の占領軍に対して裁判所が過剰なほど迎合した結果、事実の認定が歪めてられてしまった可能性が大いにあります。結局、第1審福岡地裁で西さんの無実を叫ぶ声は聞き入れられず、強盗殺人計画の首謀者とされた西さんは、実行犯の石井さんと共に死刑判決。他の共犯者達もそれぞれ懲役刑が下されました。続く控訴審判決は共犯者の罪科に変更があったものの、ほとんど第1審判決をなぞる内容でしかありません。最終的に最高裁判所に上告しましたが棄却されたため、福岡事件の確定有罪判決は福岡高裁判決となります。

第1審判決時の新聞記事
第1審 福岡地裁の様子

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確定判決の認定事実

それでは確定判決の内容をみる前に、事件の争点をもう一度確認しましょう。

福岡事件の最大の争点は、殺害の有無ではなく、強盗殺人の共謀の有無です。石井さんが被害者2人を殺害したことは両者争いありませんので、その殺害に際して西さんからの指示を受けていたのかどうかが大きな問題となります。確定判決では、西さんが先に黒川さん、後に石井さんやその友人たちに強盗殺人計画を打ち明け、その計画に沿って彼らが行動した末に、被害者が殺害されたというストーリーが組み立てられています。

確定判決は西さんや石井さんだけでなく、5人の共犯者の事実認定もなされ内容が複雑です。そのため、ここでは主要な西さんと石井さん、そして共犯者のなかでも重要な黒川さんの3人の認定に絞り要約します。(被害者の方の名前はこれまで通り伏せて「日本人商人」と「華僑重鎮」とし、また黒川さん以外の共犯者は煩雑さを防ぐため名前を一律「共犯者」とします。)

罪となるべき事実(一部抜粋要約)

「西武雄は、昭和22年4月末頃以来、架空の軍服で騙して金を入手すべく、もし成功しない場合には取引相手を殺害して強奪しようと計画し、同年5月初頃、軍服見本を日本人商人に交付し、日本人商人を介して華僑重鎮はじめ中国人5名に対して取引交渉を進める一方、かつて部下であった黒川に前記計画を打ち明け、黒川もまたこれに同意し、被告人両名は前記計画の実行を共謀した。同月19日共犯者に対し、喧嘩のため必要と偽り拳銃の入手斡旋を依頼、依頼受けた共犯者はさらに他の共犯者の紹介で拳銃を所持していた石井健治郎にいき当たった。

翌20日午後4時頃、石井は共犯者を伴って西と黒川のいる福岡旅館に赴き、西の求めに応じて拳銃1挺に実包4発を添え、更に十四年式拳銃1挺を併せて代金5万円で譲渡することを承諾した。かくして西は拳銃を入手すると日本人商人と連絡し、軍服取引関係者を食堂に連行すべく打ち合せておき、その間石井や共犯者に計画の実相を打ち明け、成り行きによっては、まず黒川が取引の相手2名を誘い出し、次いで西が残りの者を連出し相手を殺害して、その所持金を奪うべく、計画の実行に関する大略の構想を表明した。石井は計画に加担して、拳銃を自ら使用して実行の一部を分担することを引受けた。

午後7時頃一行は相前後して福岡旅館を出発し、西は他の被告人と一旦別れて来合せた日本人商人と共に食堂に入った。そこで軍服買受代金70余万円を準備して待ち合わせている華僑重鎮達に対し、取引の保証金として10万円の交付を申し出て、70余万円のうちから現金10万円を受取り、華僑重鎮や日本人商人と共に名目上の持ち主に10万円の保管を依頼した。しかし、華僑重鎮は残金60余万円について、現品引き換えでなくては交付する様子ではなかった。

このため西はいよいよかねての計画通り、取引相手を順次誘い出して殺害し残金を強奪する他はないと考え、華僑重鎮に軍服積込現場への案内を提案し、華僑重鎮と日本人商人を黒川に引き渡した。黒川は両名を誘導して殺害現場に到り、倉庫を開くと称して両名を待たせておき、同所と石井の待機場所との間を数回往復して機の熟するのを待った。この間、石井は殺害現場付近の路上において、華僑重鎮と日本人商人に出会い、華僑重鎮と約1間半を隔てて相対峙するや拳銃でいきなり華僑重鎮めがけて発射し、胸部に命中させてその場に昏倒させ、次いで日本人商人が驚いて華僑重鎮の身辺に立ち現われるや、更に同人に対し第2弾を発射し、左胸部に命中させて昏倒せしめた。

かくして黒川は直ちに食堂に引返して西及び相手方に対し、軍服のトラック引渡し終了を報告した。西はその場で残金60余万円の交付を強要したが、残った中国人達があくまでも現品引き換えを主張した為その目的を達せず、石井と共に名目上の持ち主方に赴き現金10万円を受け取り直ちに逃走した。ここに被告人西、黒川、石井の3名は金員強奪の目的を以て華僑重鎮、及び日本人商人の殺害行為を遂行したものである。」

 証拠

・強制処分による判事の検証調書
日本人商人の死体のうち背中左右2か所に3センチほどの刺創があり、死体のあった地面にも刃物の突き立てた跡が残っていることから、使用された刃物は日本刀のような長く鋭利な刃物と思われる旨。また、犯行現場付近は街灯等の照明設備はなく、夜間は真っ暗で人馬の往来が稀であると思われる旨。

・鑑定人医師の各死体解剖鑑定書
日本人商人については、左胸部の射創および内外頸動脈を完全に切断する左頸部切創、背部から胸部に貫く2か所の刺創が見受けられる。左頸部の傷は20センチから40センチあるいはそれ以上の鋭利な刃物で刺し入れられている。
華僑重鎮には胸部の射創と頸部諸筋を損傷せしめる左右頸部切創が見受けられる。華僑重鎮の左右頸部の創傷は、日本人商人の胸部と同様の凶器によるものと推定される。

・司法警察官代理作成による領地目録
拳銃1挺(証第9号)及び14年式拳銃1挺(証第11号)それぞれ領置した旨。


[ⅰ] 古川泰龍著『真相究明書 九千万人のなかの孤独』花伝社P378以降 参照
[ⅱ] 同『真相究明書』P383