福岡事件を現在のものさしで測ろうとすると疑問に思うことが多いかと思われます。当時の日本はどのような状況だったのか、今ではありえない「ヤミ取引」「拳銃所持」に焦点を当ててみましょう。

終戦から2年後の1947年、日本では食糧難・物質不足がますます深刻になっていました。国外で終戦を迎えた復員兵や引揚者およそ150万人が日本に戻ってくる一方、食料生産量は輸入の停止や国内の労働資材・労働力の不足などから激減。政府の統制物資がほぼ底をつき、配給制度は麻痺状態に陥っていたのです。

配給のみで生活しようとした山口良忠東京地裁判事が栄養失調で餓死するという事まで起こり、人々は危機感を募らせました。この危機感から必然的に、統制外の「ヤミ市」「ヤミ取引」が全国各地で横行しました。人々は違法行為と知りつつ「ヤミ市」に走り、衣類や所有品を食料・日用品に交換して飢えをしのぐしかありませんでした。

そのなかで戦争に使用されたものも出回ったそうです。軍服は生地がしっかりしているため衣料品の中でも重宝されたそうですし、また拳銃も売買の対象とされたようです。戦後直後の人々にとって「ヤミ市」「ヤミ取引」は日常だったでしょうし、拳銃への抵抗感は今よりずっと薄かったのではないでしょうか。

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