今なお続く被害

熊本県玉名市の生命山シュバイツァー寺。
本堂の祭壇にはこの珍しい寺号の由来となった故アルベルト・シュバイツァー博士の遺髪と共に、3人の位牌が並んでいます

ひとつは自らの犯した罪に西さんを巻き込んでしまった石井健治郎さん。石井さんは2人の人を殺めた罪で死刑判決を受けるも、恩赦で無期囚に減刑。そして在獄43年の末に出所した彼は、「最後まで闘ってくれ」という西さんの遺言に報いるかのように再審運動に尽力しました。脳血栓による数度の手術で言語障害に見舞われながらも、91歳で亡くなる直前まで石井さんは「西君はなにもしとらん」「西君は無関係だ」と語っていました。

もうひとつは西さんの無実を確信し、全てを投げうって助命と再審に尽くした古川泰隆師。「たったひとりのいのちすら守れない世の中を、私は信じることができない」という古川師の切実な想いは、西さんの死刑執行で打ち砕かれることとなりました。半身を失ったかのような無力感に言葉を失う古川師を支えたのは、長年彼を支え続けてきたご家族や有縁の人々でした。その後古川師は西さんの死後再審を決意、長年の無理が災いして病床に臥してもなお「多くの人に福岡事件の真実を知ってほしい」と話していたといいます。

最後は無実を叫びながら刑場の露と消えた西武雄さん。身に覚えのない罪で死刑が確定し、明日なき絶望の日々を冷たい獄窓のなかで過ごした彼は、次第に写経と仏画に没頭していきました。その動機について「懺悔のために、仏様に罪を償うために、描いているのではない。仏よどうか私の真実を聞いてほしい」という気持ちだったといいます。不信と誤解の解けない冤罪死刑囚の孤独感と苦痛はいかほどでしょう。「実に残念であり、身も心も張り裂けるように絶叫したい衝動にかられる」「泣くにも泣けない、もう涙も枯れて出てきません」こうした彼の言葉は、想像するに余りあります。

また西さんは次のような心のうちを明かしました。
「冤罪で身に覚えもないような強盗殺人の濡れ衣を着せられて、死刑になるということの不幸、辛さ、悲しさというものがあるだろうか。こういう不幸は、私だけでやめにしてほしい。同じような不幸を、私と同じ人間にもう一度味あわせるということを、もう止してくれと言いたい。」[1]

果たして、現在の法制度が西さんの望む姿なのでしょうか。

そうだとしたらなぜ、福岡事件の再審が今なお開始されないのでしょうか。そして…いつまで、西さんは不名誉の汚泥に沈められなければならないのでしょうか。

このHPでは現代に福岡事件を再現すると共に、福岡事件の抱える問題を通じて、現在の再審を取り巻く状況を考えていければと思っています。


[1] ドキュメント九州「その月が割れるまで~福岡事件・再審請求の行方」TKUテレビ熊本2009年